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最高裁判所第二小法廷 平成2年(あ)1049号 決定

本籍

浦和市太田窪二丁目八二四番地

住居

同 岸町一丁目一番一六号

建売・不動産産業

草野謙治

昭和一一年一〇月五日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成二年九月一二日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申し立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人丸山利明外二名の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、所論引用の判例は事案を異にして本件に適切でなく、その余は、単なる法令違反、事実誤認の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない(平成三年二月二七日付け上告趣意補充書は、上告趣意書提出期間経過後に提出されたものであるから、判断の対象としない。)。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 木崎良平 裁判官 藤島昭 裁判官 中島敏次郎 裁判官 大西勝也)

平成二年(あ)第一〇四九号

○上告趣意書

被告人 草野謙治

右の者に対する所得税法違反被告事件の上告趣意は次のとおりである。

平成二年一二月三日

右弁護人 丸山利明

同 赤松幸夫

同 山田宰

最高裁判所第二小法廷 御中

第一 原判決は刑事訴訟法第三八二条の二の解釈適用を誤り判例と相反する判断をしているもので、右誤りが判決に影響を及ぼすことが明らかであり、原判決は破棄されなければならない。

一 弁護人は、本件所得税法違反被告事件につき、株式会社コサカはダミーで法人ではないこと、本件土地取引の結果株式会社コサカの被告人に対する債務が返済されており、債務返済を仮装した事実はないこと、本件では被告人の顧問税理士に事前に相談した結果節税対策として合法な取引方法であるとの指導を受けたこと等本件の真相を立証するため、書証として(1)株式会社コサカ、株式会社草野工務店、草栄産業株式会社の登記簿謄本各一通(立証趣旨 右各会社の登記内容)、(2)開発行為許可通知書写し一通(立証趣旨 被告人が当初本件土地により自ら建売による不動産事業を行うことを企図し、昭和五六年四月二一日付けで浦和市長から同事業に関する開発行為許可を得たことがある事実)、(3)株式会社コサカの株式関係及び登記関係書類綴一冊(立証趣旨 株式会社コサカが、被告人の関与なしに設立された独自の会社である事実)、(4)株式会社コサカの昭和六一年五月期の決算書写し一通(立証趣旨 株式会社コサカが、本件当時も企業としての業務を継続していた事実)、(5)株式会社コサカの昭和六〇年一二月二五日付け、同六一年七月二二日付け振替伝票写し各一通(立証趣旨 株式会社コサカが、本件土地取引に関する仲介料等を支払っている事実)、(6)株式会社草野工務店本社事務所に関する目録写し一通(立証趣旨 被告人は、本件取引を合法的なものと信じていたため、本件査察開始当時本件関係書類を隠匿するような行為は一切していなかった事実)、(7)借入証明関係書類二通り(立証趣旨 被告人が、本件関連の本税等の納入資金を金融機関から借入れた事実)、(8)債務放棄関係書類写し一通(立証趣旨 株式会社草野工務店が、草栄産業株式会社の行き詰まりにより、同社に対する債権六億円を放棄した事実)をそれぞれ申請し、さらに人証として(1)小坂竜夫(立証趣旨 株式会社コサカがダミー法人ではなく、本件土地取引の当事者として介在したこと、及び本件土地取引によって生じた利益で被告人に対する債務を弁済した事実)、(2)穐山直治(立証趣旨 株式会社コサカ側の人間として本件土地取引の契約書を作成したこと、及び同社が本件土地取引の仲介料を支払っていた事実)、(3)宍戸功一(立証趣旨 本件土地取引の結果株式会社コサカに生じた利益によって同社の被告人に対する債務が返済されていること、及び被告人の顧問税理士の大野友次が被告人と本件土地取引について頻繁に話し合っていた状況)、(4)大柳晴子(立証趣旨 前記(3)の外査察官による取調べの状況)、(5)森喜一郎(立証趣旨 被告人が本件土地取引当時、株式会社コサカを介在させることを合法であると信じていた状況、(6)大野友次(立証趣旨 被告人から本件土地取引について株式会社コサカを加えることについて税理士として相談を受けたのに対し「合法であり、そのことは税務署も認めている」旨答え、被告人と浦和税務署長を会食させるなどした経緯)、(7)上田浩一郎(立証趣旨 本件土地取引の当時者に株式会社コサカを加えることについて大野友次税理士ともども「合法であり、そのことは税務署も認めている」旨答えたこと、及び右株式会社コサカを介在させることが合法である旨を記載した同証人作成の昭和五九年五月一五日付け及び同年一〇月四日付け各メモの作成経緯等)、(8)八木沼貞剛(立証趣旨 大野友次税理士事務所の前任者である上田浩一郎から本件土地取引に関連する引継を受けた状況)等をそれぞれ申請したが、原審は刑事訴訟法第三八二条の二所定の「やむを得ない事由によって第一審の弁論終結前に取調べを請求することができなかった証拠」に該当しないとして右申請を却下し、被告人に対する取調べの状況等について被告人質問と、情状について証人として被告人の妻、書証として被告人の息子の手紙を各採用したに過ぎない。

二 そもそも刑事訴訟法第三八二条の二第一項は、控訴審が事後審であることから証拠の一審集中を弛緩させないことを基礎におきつつも、当事者の責に帰すことのできない事由によって一審で提出することのできなった証拠を全て排斥した場合、ともすると客観的正義に反する結果を招くことを慮んばかつて規定されたものであり、ここにいう「やむを得ない事由」によって取調べを請求することができなかったとの規定の解釈についてこれを正面から取り上げた最高裁判所の判決はないものの、一般的には物理的不能と心理的不能とに分けて論じられており、とりわけ、本条が第三八二条の例外規定として設けられた理由及び本条の制限が当事者の怠慢を防ごうとするもので失敗をも許さないものではないことからして、一審の弁論終結前に当該証拠を提出する必要がないと思っていたとか、当該証拠を請求しなかったのもやむをえないと考えられるような心理的不能の場合もこれに含まれるとする見解が有力であることは周知のとおりであり、現に検察官の不手際ないし怠慢を認めながらも新たな証拠の提出を許した判例もある(東京高判昭四三・四・三〇下刑集一〇・四・三八〇)。

まさしく本件の場合は後述するように右にいう被告人の責によらざる事由で、一審での証拠提出を断念せざるを得なかった事案であって、原審は前述した弁護人申請にかかる各証拠を採用し、実体的真実の発見と客観的正義の実現に応えるべきところ、右申請をいずれも却下したことは、正に本条の解釈、適用を誤りかつ、右判例の趣旨にも違反しているものと言わざるを得ない。

三 本件の実態は、既に原審における弁護人の控訴趣意書及び同補充書で縷々述べているとおり本件の土地取引に当事者として介在した株式会社コサカ(以下「コサカ」という)が、被告人に対し約五億円の債務を負っていたものの返済の見通しが立っておらず、被告人事業の資金繰りに多大の影響を及ぼしていたことから、コサカの経営者小坂竜夫らから懇請されたこともあって右債務を清算するため同社が本件土地取引の当事者となったものである上、コサカ自体も土木建設機械のリース販売等の事業活動をしている実在の会社であって、本件当時も事業活動及び資金の動きがあることは関係証拠からも認められ、実際に税務申告も行っていたものであり、決して判示の如きダミー法人ではなかったものである。

さらに被告人は、税法について十分な知識も持たないため、被告人の顧問税理士である大野友次並びにその事務員である上田浩一郎らに本件取引にコサカを当事者として介在させることにつき質し、税務署に確認することを依頼したところ、同人らから「右のような取引形態をとっても被告人が売上除外をしたことにはならず所得税法に違反しない。そのことは税務署にも確認した。」旨の回答が得られたため、その回答を信じて、本件のとおりの土地取引を実行したものであって、被告人の脱税の犯意及び違法性の意識は極めて希薄な同情すべき事案であった。

右のとおりの背景事情があるからこそ本件土地取引にコサカを当事者として介在させるにあたっても、株式会社浅沼組との土地取引に全部取り入れることをせず、一部については被告人と右株式会社浅沼組との直接売買にて、本件土地取引によってコサカに生ずる差益を被告人関係の貸付返済に必要な範囲内にとどめているものである。

この結果右差益分は被告関係貸付の返済として各関係者の銀行口座に送金するとともに、コサカにおいてもそのとおりの経理処理がなされているのである。

こうした実態について被告人は、本件の査察開始当初から査察官に供述していたものであるが、当該査察官は右供述を無視し質問顛末書に「本件の返済は仮装であり、本件土地取引は脱税の手段にほかならない。」旨記載した上「これに署名してもらわないと、上司との関係でこちらの立場がない。」、「国税に協力しなかったために実刑になったものがいる。」、「協力してくれれば重い刑にはしない。」、「検事にも刑務所に入らなくてすむように良く言ってやる。」、「被告人がかぶれば大野税理士も助かる。」などと言って署名押印を迫り、これに応じなければ実刑になるかもしれないと信じ込まされ、これを恐れた被告人をして前記質問顛末書をはじめとする一連の顛末書に署名押印させていたものである。

右事情については、原審で取調済みの昭和六二年一二月八日付け作成の被告人の質問顛末書中に「私の言ったことと違う部分があります。そのことはまた後でお願いします。」と供述されていて、査察当初被告人が本件の真相を供述しようと精一杯の抵抗をしていた形跡が如実に物語られているものである。

言うまでもなくその後被告人が真相を語る顛末書は一通も作成されないまま査察を終了しており前記一二月八日付け顛末書の被告人供述部分が浮いたまま放置されて、査察官の利益誘導と供述強要の取調べの実態を垣間見せる結果となっている。

さらに被告人は本件告発後、検察庁において検察官に対し、改めて本件の実態を話しコサカの債務返済は真実である等の供述をしたが、ここでも検事から「あんまり突っ張るとこちらの印象が悪くなるよ。調書は国税の時と同じでいいでしょう。」、「刑務所に入れるようにしないから。」などと言われた結果、やむを得ず検察庁においても査察官作成の質問顛末書と同内容の検察官調書に署名押印し、一審の公判においても検察官らの言葉を信じかつ、実刑に処せられることを恐れ右の点を争わずにいたものである。

原審は、弁護人が申請した前記第一、一記載の各証拠を却下するにあたり、その理由として「本件の捜査過程で、被告人主張のような捜査官の言動があったとしても、それはその言動内容を被告人が勝手に誤解したに過ぎない。」と明示しているが(右理由については原審の法廷で裁判長が証拠申請却下の理由として、口頭で明示していたものであるが、公判記録に記載されていない。)右捜査過程における事情で明らかなように、被告人は、その責によらざる事由により執行猶予になるものと査察官、検察官により誤解させられていたものであって、被告人の犠牲においてその不利益を一身に担わなければならない合理的根拠は皆無と言わざるを得ないばかりか、本件は「一審で当該証拠を提出する必要がないと思っていた。」という心理的不能による「やむを得ない事由」というよりは、査察調査及び捜査過程における執拗な脅迫にも類する査察官、検察官の言辞により、被告人は真相を供述し、これを明らかにする前記証拠を提出することがとりも直さず実刑になってしまう、という恐れから一切口をつぐんでしまったもので、被告人の心理下においては、「物理的不能」に匹敵するやむを得ない事由であったのであって、このことは、原審で取調済みの関係書類からも容易に看取できることであったし、原審における被告人質問によって右事情を明確にするとともに、これによって「やむを得ない事由」の疎明を果していたものである。

第二 原判決は、これを破棄しなければ著しく正義に反する判決に影響を及ぼすべき法令違反及び事実誤認がある。

原判決に、審理不尽、理由不備の欠陥があり、その欠陥がひいて原判決を破棄するものでなければ、著しく正義に反するものと認められる程の事実誤認を導き出しているときは、刑事訴訟法第四一一条一号、三号により原判決を破棄すべきである、とするのは確定した判例(最高判昭・三七・五・一九刑集一六・六・六〇九)であるが、原審は、「本件取引は違法であるから中止するよう勧告した旨の大野友次、上田浩一郎らの収税吏又は検察官に対する供述は、上田浩一郎作成の昭和五九年五月一五日付作成のメモ(以下「五月メモ」という)の記載内容に照らし、たやすく信用できない。」と判示する一方で「被告人らの供述調書の任意性に影響を及ぼすような取調べ状況は認められない上、各供述調書の核心的部分は互いに照応していて矛盾せず全体として十分に措信できる。」と判示しているが、重要な参考人の供述内容に疑問をさしはさみながら、弁護人申請の各証拠を悉く却下した上で被告人その他重要参考人の供述につき、十分措信できると判断したことは、極めて理由に乏しく審理不尽のそしりを到底免れるものではない。

前述した五月メモ自体、大野税理士らが被告人にコサカを介在させた本件取引は、脱税とはならない旨指導した際のメモであることが十分窺い知ることのできる物証であり、原審もそれを認めていながら右メモを十分に検討した形跡は見当たらないばかりか、前記五月メモの内容と、大野税理士や上田浩一郎らの捜査官に対する供述内容との間に、重要なくい違いがあることを認めた上で右両者の証人申請を却下し、更にコサカの被告人に対する債務の返済の有無及びコサカが仲介手数料を支払っていることについても、一審で提出された関係書類を精査し、また検察官が提出しようともしなかった前記(5)の物を調べれば、小坂竜夫、穐山直治、宍戸功一らの供述調書の内容が真実にそぐわないことを看破し、本件の検察官主張の犯罪構成に合理的疑いを持った筈であって、その点を明らかにする弁護人申請の小坂竜夫、穐山直治、宍戸功一らの証人申請も全て却下した上でなされた原審の判断は、合理的な疑いを持ちながらもあえて真実に目をそむけ、悉く弁護人申請の各証拠を却下して、形式的審理に終始した結果によるもので、到底容認できるものではない。

弁護人申請の各証拠を原審において取調べていたなら、本件が極めて違法性の微弱な犯罪であり、その刑の量定においても刑の執行を猶予することが十分可能な事件であったことが明らかになった筈である。

我が国の刑事訴訟法は当事者主義の訴訟構造をとりながら、その実体において職権主義訴訟構造をとっていることは通説判例の認めているところであって、右職権主義訴訟構造の意図するところは、如何に実体的真実発見に近づくか、如何にして客観的正義の実現を図るかというところにあることは今更多言を要しないところである。

刑事訴訟法第四一一条の立法趣意もまさにそこにあるのであって、原審が証拠の信憑性に疑いを抱き、かつその疑いを証明できる証拠の存在を認識しながら、いたずらに事後審の形式にこだわり、新事実を証明できる証拠を採用しなかったことは自ら実体真実発見の義務を放棄したものであって到底許されるべきものではなく、上告審においてこそ、その法の趣旨に副い、職権をもって原判決を破棄し、実体真実発見と客観的正義を実現すべきことは多言を弄するまでもないことである。

平成二年(あ)第一〇四九号

○ 上告趣意補充書

被告人 草野謙治

右の者に対する所得税法違反被告事件の上告趣意を次のとおり補充する。

平成三年二月二七日

右弁護人 丸山利明

同 赤松幸夫

同 山田宰

最高裁判所第二小法廷 御中

原判決は、憲法第三一条に定める罪刑法定主義に違反する。

一 所得税法違反の犯罪構成要件は「偽りその他不正の行為により、(所得税法)に規定する所得税の額につき所得税を免れる」というものであって、極めて規範的な構成要件である。

従って、仮に裁判の場において、徴税の確保という行政目的に配慮する余り、右構成要件について、目的的に過ぎる解釈・適用を行った場合には、国民は、予め法律で罪となることが明示されていない行為(これを国民の側からみると、その行為当時は、「罪とならない」旨の認識の下に実行した行為や、罪となることを知る機会がないまま実行した行為)について、その後、罪を問われ処罰されるという極めて不当な法的取り扱いを受けることになり、そのことは正しく憲法第三一条に定める罪刑法定主義に違背するものと言うべきである。

二 このことを、本件との関連で見ると、従来、税法違反における「偽りその他不正の行為」として、刑事司法の実務において取り上げられていたのは、いわゆる売上除外、架空経費の計上といった行為であった。

それに対し、一連の不動産取引の過程でその中間に介在した法人の行為を仮装であるとし、同法人に対する利益の帰属を否定した上、その利益を当該一連の不動産取引に関与した他の者(以下、単に「他者」という)に帰属するものとして、その者に税法違反の罪を問うという起訴が頻発し、これに対応して多数の有罪判決が下されるようになったのは、ここ数年のことと認められる。

また、先に、希にそのような起訴あるいは判決例が存する場合も、その場合の法人は、登記簿上に存在するのみで一度も実質的な経済活動を行ったことがない等の特段の事情が認められる事案であって、本件における株式会社コサカのように、現実に取引を実行するなどの経済活動をしており、また、税申告もしているなど実質的にも存在している法人(以下「実質法人」という)について、その行為を仮装であるとして利益の帰属を否定する解釈により、他者すなわち被告人を起訴し、さらにこれを有罪とする判決例は、先にはなかったことと言わなければならない。

三 そこで、まず、従来は右のような起訴等がなかった理由を考察すると、その根底には、民商事法においては実質法人は正しく法律行為の主体と認められ、当該法律行為の法律効果もこれに帰属することから、税法上の取り扱いとして、例外的に実質法人への利益の帰属を除外し、これを他者の利益として、同他者に帰属させると、法の齟齬を来し、全体としての法秩序の統一性を乱すことになるという、誠にもっともな法的考慮が働いていた結果と思料される。

ところが、その後、不動産価格が急騰し、いわゆる不動産業者が不動産売買等により多額の利益を上げるようになった実情から、国税当局は、その利益に対する課税を強化し、徴税の実を上げるため、その一つの方法として、その取引に複数の法人・個人が介在した場合、実質課税の名の下に実質法人に対する利益の帰属をも否定する姿勢を示して、その種事案を積極的に告発するようになり、これを受けて検察もその起訴を行ってきたというのが実情であることは、ことの推移から明らかなことである。

ちなみに、このような税法の運用を裏から助けてきたのも、また、不動産業界の好況である。

すなわち、そのような起訴の対象となった不動産業者は、税法運用の変更に不満を持ち、内心ではその起訴に承服し難い思いを持ちながらも、業績の好調により、ほ脱したとされる本税のほか重加算税、延滞税の納付が可能であり、また、捜査並びに裁判の長期化が自己の事業に与える悪影響を考慮して、敢えてその起訴事実を認め有罪判決に服してきたのである。

四 以上のとおりの実情に対し、本件は、正しく、国税当局の右のとおりの姿勢変更の狭間で生起した事案である。

すなわち、原審における被告人の供述等によって明らかなとおり、被告人は、本件において脱税と認定されている行為を実行するに先立ち、顧問税理士並びに同税理士を通じて所轄の税務署長に対し、同所為が税法に抵触するか否かを確認・照会し、その結果、右所為は税法に抵触しない旨の回答を得たことから本件所為に及んだところ、同回答に反して、その後、本件が検挙されるに至ったのであるが、このような税務行政の現場担当者と査察当局等の各見解の極端な齟齬は、本件が、国税当局の姿勢変更の狭間にあったことの端的な現れであるとともに、被告人は、税務行政当局の見解の不統一、曖昧さの犠牲に供せられたと言っても過言ではないのである。

五 以上要するに、被告人は、所得税法の当該構成要件が極めて規範的であり、かつ、本件が国税当局の右のとおりの姿勢変更の狭間に位置した事案であって、同当局の見解すら不統一、曖昧なほど、実質的には、予め法律で罪となることが明示されていなかった行為について、告発され、起訴されるという刑事手続に遭遇した上、そのような特殊事情から、その取り調べに当たった査察官並び検察官自体が、当然に執行猶予になるものと予想して不用意な発言を繰り返していたために、被告人にあっても、従来は真面目に事業に専念し、刑事手続と無縁であった市民の素朴な発想から、そのとおりの判決が下されるものと信じ込まされ、かつ、司法官憲に抵抗することが無益であるばかりか、むしろ自己の不利であるという考えを持つに至り、本件に関する真実の事情を何ら明らかにせぬまま第一審の公判手続を終えたところ、実刑判決を受けることとなったのである。

しかも、原審は、そのような事情を立証する機会も与えぬまま、単に極めて形式的な審理をしたのみで、控訴棄却の判決を下し、被告人に対する実刑判決を維持するという余りにも苛酷な判断を示したものであって、原判決に至るこのような経過を総合すると、同判決は憲法第三一条に定める罪刑法定主義にの理念に反することは明らかであると思料する。

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